データは大事。
よくネット上で議論される話題として、「ゲームへの課金」があります。
中でも、「◯十万円爆死(目当てのキャラが引けなかった)した」なんていうトピックがあったとすると、それに対して必ず目にする"ある意見"があって、個人的にはそれが少しモヤっとします。
それは、「ただのデータによくそんな金かけられるな」というもの。
この「◯十万円」の金額的価値は個人の価値観によっての違いもあり、相対的に計れるものではないのでさておくとして、気になるのは「ただのデータ」という言い草の方です。
このケースで、課金によって得られる(可能性のある)ものは、キャラクターやアイテムのデータです。
自分の欲するそれらを引き当てるために、現実のお金で仮想通貨を買って、抽選に参加する(ガチャを引く)わけですよ。
例えばです。
時には、生活を圧迫してしまうレベルの課金をしてしまう事もあるプレイヤーがいたとします。
彼は課金してガチャを回して得た強力なキャラクターでもって、それまでずっと圏外だったランキングに食い込めるようになりました。
それによって、彼は大きな達成感や充実感を得ました。
SNSにスコアを投稿すれば、同じゲームのプレイヤー仲間からは賞賛を浴びました。
そこまで自分を導いてくれたキャラクターにも愛着が湧き、大好きになりました。
そのキャラクターの絵が描きたいと思って、絵の勉強まで始めました。
そのキャラクターの声優さんが好きになって、ライブへも足を運ぶようになりました。
そうしているうち、気づけばたくさんの仲間ができていました。
自分の能力や性格も、成長していました。
さて、この彼のゲームデータって、本当に「ただのデータ」でいいの?
楽しかった事とか嬉しかった事とか悔しかった事とかを何度も経験してきて、それまでかけた時間や思い出の詰まったデータなんじゃないの?
仮に彼が50万円の課金をしていたとして、その課金によって彼は50万円以上の価値のあるものを手にしたんじゃないの?
彼の行った課金は、そんなに愚かな事なの?
……と、思うわけです。
それなら、あなたが旅行に行った時にデジカメで撮った写真だってただのデータだし、あなたの親友がケーキに入刀する様子をケータイで撮った動画だって、言ってみればただのデータなわけですよ。
でも、例えばそのデータが消失したり、現像した写真が燃えてしまったとして、それがどんなに残念で悲しくても、その思い出までが失われてしまったり、その思い出の価値まで下がるという事は絶対ないでしょう。
それは"ただの"データではないはずだからです。
ならゲームだって、"ただの"データではありません。
もしもゲームのデータが消失したり、ゲームのサービス自体が終了したらと考えると、とても悲しくはなりますが、もし仮にそうなったとしても、それらにもたらされた思い出が消えて失くなることは、絶対にないでしょう。
よって、ゲーム好きな人にとってのデータだって、とても大事なものなんです。
家庭用ゲームであろうが、スマホゲームであろうが、それは同じ事。
課金で得たそのキャラクターが、これからのその人の人生を変えてくれるかもしれないんです。
デジタル信号だけでは表せない、たくさんのデータも一緒に詰まっているんです。
だからゲームに理解がないという人も、どうか「ただのデータ」と蔑ろにはしないでいただきたい。
そう自分は思います。
自分の場合ですが、今まで課金したゲームを振り返ると、全部データやアカウントは残しています。
それは、「課金したから」残しているのではなく、やはり思い出として残している側面があります。
もし遊ばなくなっていたとしても、たまにログインをして振り返る。
デレステだって、自分がもしこの先遊ばなくなったとしても、データは絶対に残しておくと思います。あんな膨大な思い出、消せるはずがありませんから。
あ、ちなみに一気に50万の課金をした人がいたとするじゃんか。
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