カラクリとぼく。
まぁせっかくライブもあったんだし、こんな機会でもないと改めて語る事もないかと思いまして。
先日、1日復活ライブを敢行した機械人形歌劇団カラクリっていうV系バンド。
昨日の記事でも書いたのですが、彼らの後期の活動では、自分が映像クルーとして同行していた事がありまして、とっても思い入れの強いバンドなのです。
もっと言えば、今でも大切な友人達。
彼らの終幕から時間もかなり経った事だし、今回は思い出話なんかをいくつかしましょう。
まず、カミ手ギターの隼くんとは、バンド結成前から地元の友達で、彼がそれまで他のバンド活動をする傍、オレと遊びで宅録ユニットを組んで、音源を作って遊んだりしていました。
その初期なんて、オレと隼くんのツインボーカルだったんですよ。
それから数年後、V系バンドを組むために動いてるっていう話を聞いて、仮音源も聞かせてもらいました。
その当時の仮バンド名は「リサリサ」。
曲は「幸福の唄」「サダメノ唄」「縁」「生意気ブレイカー」だったかな。
全部カラクリでも演奏した曲ですね。
そしてついに、カラクリのファーストライブ。
池袋CYBERで、10バンド以上出たものすごく長いイベントだった事だけ覚えています。
あと、その時の対バンさんのボーカルがサポートという衝撃と、絶望的なメイクと歌唱力だった記憶もあったり。
それから徐々に拠点を浦和ナルシスへ移して活動していく中で、めきめきと動員も増えていっているのを見て、友人ながら誇らしく思っていたのと同時に、ちょっと寂しく思っていた気がします。
ちなみにその頃、どこかの居酒屋で隼くんと話している時に、カラクリファンの方々の呼称について、自分が「カラクリストがいい」と進言したのがきっかけで、カラクリストっていう呼び名が使われる事になったんですよ。
カラクリストって、オレが名付けたんですよ。
これ下手したら、メンバーすら知らないかも。
あとは、ひょんな事からPVを撮らされt……撮らせていただく事になって、そこからはあれよあれよとすっかり映像クルーとして帯同する事に。
金八先生やマイボスマイヒーローのパクrパロディのために外ロケをやったのが、特に印象的だったな。
あとはシャカリキドライブのPV撮影で、館山へ弾丸ツアーを敢行したのもいい思い出。
正直ケミカルピクチャーズの頃と比べると、映像のクオリティは全然お子様レベルだったけど、みんなノリノリで撮影してたあの頃を振り返ると、学生時代に戻ったみたいで本当に楽しかったです。
その頃から、知る人ぞ知る"第6のメンバー"と呼ばれていたりもして。
シモ手ギターのみかくんとは、バンドが終わってからよく遊ぶようになったという不思議。
ボーカルあっきぃとは活動中はよく会ってたのに、終幕後はご無沙汰になった不思議。
でもまた会おうぜ!近所だし!
ベースひぃろくんとドラムNAOくんは、遠くてなかなか会えなくなっちゃうんだけど、生きてさえいればまた絶対会える!あとツイッターあるし!
そんなわけで、久しぶりに思い出を語ってみました。
思い出はいつでも、この胸とiTunesの中に。
Appleのコピーみてえな事言ってんじゃねえ
数年後にでも、またひょこっと演ってくだせえ。
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